この問題は戦後の日本の政治と経済の仕組みをどういうふうにつくるか、ということとも絡む体制問題であった。
体制問題として農民をどういうふうに位置づけるか。
しかも、戦争直後は農民の人口が非常に多かったから、これを政治的に動員できれば選挙でも非常に有利であった。
実際当初はどうだったのかというと、自由党・社会党という二つの政党を考えてみると、戦争直後は農民の支持は双方であまり違わない状態にあった。
いうまでもなく、社会党の強さ、共産党の強さは、農民組合が小作争議を中心にして強固な組織力をつちかってきたということと深く関係している。