2014年4月アーカイブ

そういう意味では、歴史をかえりみれば、聖徳太子の時代から、「日出る国から日沈む国へ」と、自分たちが一つの精神をもって対応してきた精神の構造というものがあったのだが、戦後は、アメリカ的な実用主義だけが優先して、理念とか見識といった精神の構造は崩壊していったといっていいのだ。

ようするに、日本人とは、すぐれて西欧的でありながらまったく西欧ではなく、同時にすぐれて東洋的でありながらまったく東洋ではないという、まことに"ユニーク"な民族なのである。

ふたたび述べるが、日本のいまの最大の不幸は、その西欧からも東洋からも隔絶した日本が、国際経済社会で"世界一"という力をもってしまったところにある。

世界の憎まれ者となり、経済摩擦、ジャパン・バッシングにあっている日本が、いかにして世界とコミュニケーションし、国際社会における役割を自覚し、果たしていくかは、稲作がつちかってきた日本人の資質というものを、経済問題でもなく、政治問題でもなく、すぐれて文化の問題として解析し、認識できるかどうかにかかっている。

幼いということは、いいかえれば愚かということでもある。

日本の〈戦後民主主義〉が欧米のそれと根本的に異なるのは、それを日本人が血をもってあがなったものではなく、あたえられた制度だというところにある。

日本人は、利己的権利を主張するのに便利だから、自分が得をするかち民主主義という制度を受け入れたのであって、決して日本人一人一人がそれを自分のものとして血肉化しているわけではない。

つまり形態と手段は民主主義のようなものだが、精神は民主主義ではないのだ。

むしろ、理念なき現実主義、現世利益にこたえる制度として定着していった。

一言でいって、民主主義は、日本人を〈愚衆化〉する最大の手段だったのだ。

「これまでうまくいったじゃないか。

これからもうまくいく」と思い込んでいる。

だが、それは大いなる錯覚というものだ。

病理学的にみれば、死にいたる病を病んでいるのに、自覚症状はかけらもない。

まさに世紀末である。

日本を世紀末にいたらしめているのは、一言でいえば、日本人が幼いからだということにつきる。

わたしは、自分のつきあいの範囲が狭いのかもしれないけれども、日本を代表するといわれている人物に会っても、人間の幅として畏敬する人物だと思ったことはほとんどない。

たしかに個人としてはすぐれているが、一国の指導者としてはまことに幼いというしかないのである。

世界の政治・歴史というものを支配しているのは、すべて〈ブラック・フィロソフィ〉であるにもかかわらず、日本は、小さな田舎の陰謀はあったにしても、国家的な戦略という面ではまったく幼いというしかない状態のままなのだ。

世界を相手にするときには、きわめて高度な戦略が不可欠だし、すくなくとも明治の日本にはそれがあったのだが、いまはまったく欠如している。

なぜそうなったか。

たかだかここ三〇年の繁栄の尺度で過去2000年を捨てたからだ。

経済主義が成功しすぎたための不幸といっていいか。

三〇年前にくらべればいまのほうが幸福じゃないかといわれれば、だれしも「そうだ」というだろうが、しかし、その結果がなにを失わせることになるかについての認識はまったくない。

アメリカ、ソ連、中国、あるいはヨーロッパやアジアの諸国が、対症療法だけではなく根本的な治療をやろうとしているのに、日本だけは、対症療法でことが足りると思い込んでいる。

アメリカ人が民族として国家の旗の下に結集しなくとも、みずからの文化を共有しうる絶対国家になるには、すくなくとも一〇〇〇年はかかるのではないか。

そういう意味では、よくも悪くも〈発酵〉性という特殊性をもった日本人の文化は、ますます貴重な世界性をもつのである。

そのためには、日本はもっと開放して外国人を受け入れ、新しい外国の血を入れて、二〇〇〇年前の弥生時代のように、日本をふたたび人種の混合体にすることだ。

日本民族は単一民族だといった虚妄にとらわれることなく、古代日本がそうであったように、さまざまな民族と大混血をする。

そうすれば数千年にわたって日本が生きのびる可能性があるだろう。

ところが、いまの日本は経済主義だけで、そういった〈ブラック・フィロソフィ〉がない。

いまのアメリカは日本の弥生時代によく似ている。

アメリカは〈人種の堆塙〉ではあるけれども、原住民だったインディアン以外にアメリカ民族は存在しない。

だから、アメリカ合衆国という国家の旗の下に結集するのである。

アメリカ人というけれども、その内実はどこまでいっても、白人は白人、黒人は黒人、中国人は中国人であって、多少の混血はあるだろうが、日本のように稲作という共通の基盤をもって〈たまり〉と〈熟成〉と〈発酵〉の単一民族には絶対になりえないだろう。

国が大きいからどこまでも〈租界〉があり、いつまでもその構造がつづいて、かえって分割していく可能性のほうが強いようにみえる。

そういう意味で、アメリカは偉大な相対性国家である。

どこの店も、「これが、ほんとうに地面で栽培されたものなのか......」と疑いたくなるような綺麗な野菜・果物を取り揃えていた。

値段の開きは、二、三倍はあるが、どれも野菜・果物そのものには、それほどの差異がないように思える。

どこの売場でも見られた光景だが、野菜・果物を買う主婦たちが、あっちを取ったりこっちを取ったりして、ためつすがめつ見くらべている。

しかし、どれもほとんどキズや虫食い等はない。

姿、色、形も均一である。

また、野菜・果物の種類は、過不足なく揃っているが、たとえば、ダイコンならダイコン、ナスならナスと、ひとつの産地のひとつの品種しか置かれていない。

売れ線の野菜・果物については、複数の「品種」と「産地」のものを取り扱ってもいいだろう。

野菜の種類を増やすのではなく、品種・産地を明示し、消費者の選択幅を広くしてもらいたい。

そういうと、スーパーの商品企画担当の人は、すぐに、過剰包装や、商品ディスプレイに頭を悩ますことと思う。

そうではなくて、ひとつの野菜・果物でも、あちこちの産地から調達した、さまざまな味・外観のものを取り揃えてほしい、ということだ。

それが、一〇年ほど前から余りはじめ、現在は消費が頭打ちである野菜・果物の消費拡大、さらには、主婦たちに野菜・果物をより理解させられる唯一の方法だと思うのだ。

つぎは中央高速で足をのばして、山梨県富士吉田市の「イトーヨーカ堂」に行く。

周囲には畑も相当にある立地条件だが、調布の「とうきゅう」とたいして変わらない陳列方法やその価格設定である。

さらに、東に戻る。

東京をパスして、千葉県船橋市の「ららぽーと」にある「ダイエー」にやってきた。

とりたてて、変わったところは見当たらない。

どこのスーパーも、ほぼ同様の陳列方法で、似たような価格で販売している。

あまりに個性がないのだ。

それでは、首都圏にある中規模のスーパーは、どうなっているであろうか。

四谷三丁目の「丸正ストア」、西新宿の「地産ストア」、小滝橋の「いなげや」などに行ってみたが、これまた、大規模スーパーあたりと、とりたてて変わったところはない。

いかにも高級感にあふれている。

値段はかなりいい。

ニンジン一本・一〇〇円。

ジャガイモ四個パック・二80円......。

ほかのものも、これらに準じていかにも高級品らしい価格設定である。

さすがに、売場の隅に野菜の入ってきた段ボール箱などが無造作に置かれていたりすることもない。

こうした気配り料が、価格設定に大きく影響しているのだろう。

こんどは、住宅街のスーパーマーケットに足をはこんでみよう。

東京の郊外、調布駅前の「とうきゅう」である。

こちらも、ほとんどの野菜・果物が、ラップなどで包まれている。

値段は、ニンジン三本のパックが、一九八円である。

新鮮さをかもしだすために加湿器があって、霧状の空気が野菜の上に降り注いでいる。

スーパーなどの野菜売場を、あらためて歩いてみたくなった。

いま多くの消費者が日常的に野菜を買っているスーパーなどで野菜はどう売られているのか、いったい、どんな雰囲気で大量販売されているのだろうかと、気になってきたからだ。

まずは、野菜・果物の高級品を売っている、と愚妻がすすめる渋谷の「西武百貨店」。

独りでいくのは気がひけるから、愚妻を連れていってみる。

地下一階の食品売場の隅に、へばりつくようにして野菜・果物売場があった。

品揃えは、普通程度であるが、とにかくどの野菜・果物も、ことごとくビニール・パック、ビニール包装されている。

何人もの人が手に取ってみても、手垢などが付着しないように、という配慮なのだろう。

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