2014年6月アーカイブ

1988年12月および89年4月に行なわれた中間レビューを契機として、途上国は具体的な提案を出し、議論に加わるようになった。

1990年11月には議長テキストが作成されたが、先進国と途上国の両論が併記された。

知的所有権の保護レベルおよび権利行使手続についての国際的義務を決める包括的内容をもつのが先進国案で、不正商品問題に関する一般的義務のみを決める内容が途上国案であった。

1990年12月のブラッセル閣僚会議では8つの分科会ができ、TRIPは投資措置とともに一分科会を形成し、最終合意をめざした。

しかし、懸命の最終起草作業もむなしく、農業交渉で進展が得られなかったため、他の交渉分野の作業も中止された。

ガットの規律や貿易自由化を受け入れた国が発展する傾向があるが、これがサービスの場合にも繰り返される可能性がある。

したがって、途上国が協定に入りやすいように、競争条件の大差や社会政策目的を考慮に入れた免責および特別待遇規定が導入された。

ガッツの概要と最初の約束についての交渉

交渉は、試行錯誤的な検討を経て、次第に骨格がかたまり、次の3つの作業が進められた。

(1)サービス貿易に関する一般協定本文の作成。

(2)特定のサービス分野(たとえば、金融)の特殊事情を考慮した協定への付則の作成。

(3)最初の約束についての交渉の結果を収録する約束表の作成。

協定本文は6部35条で構成されている。

4部38条から成るガットと類似する規定も多い。

以下、順次詳細にみてみよう。

自由化された状況のもとでは、サービス貿易も、商品貿易の場合と同じように、比較生産費の原理で行なわれるであろうといわれている。

サービス貿易の競争力をなす要素は多様であろうが、次のものが考えられる。

(1)労働力の質と所得水準や受け入れられる労働条件、(2)技術およびノウハウ、(3)金融力および導入資金の利子率、(4)産業の規模およびネットワーク、(5)伝統と信用。

サービスの種類によっては、ノウハウや技術の外国移転が速いため比較優位状況が短命で変化しやすい場合もあるが、大が小を制する場合もあるであろう。

サービスに関する新協定ができると、これに参加する国の間で自由化が進み、すでに競争力のある国のサービス産業が新しい競争条件のもとでさらに合理化して、その比較優位をゆるぎないものにする可能性がある。

ところで、ガットは先進国に傾いた西側の機構であるという批判が高まり、1962年には国連が貿易開発会議(UNCTAD)の開催を準備することを決定した。

翌63年にガットは閣僚会議を開催してケネディ・ラウンド交渉を1964年から開始することを決定するとともに、「行動計画」および熱帯産品のための市場開放について決議を採択した。

先進国が自国の関税引下げなどの交渉で途上国からレシプロシティー(互恵主義すなわち等価の譲許交換)を期待すべきでない旨のルールがこの議決ではじめて採択された。

さらに先進国の一般特恵関税および途上国間特恵についての提案を審議する作業部会の設置が決められた。

また、途上国貿易拡大のための法的枠組みを検討する委員会の設置も同時に合意された。

この調査結果に基づき、1963年に先進国が実行すべき行動計画を途上国グループが提出した。

先進国は一定期限内に種hの貿易障壁を大幅に削減または撤廃することを要求されたが、当時急進的と考えられたこの要求に先進国はあまり応えることができなかった。

貿易障壁が低下しても、生産はさておき販売能力がなけれぽ途上国の輸出を伸ばすことがむずかしい。

第三委員会ではこの点が指摘され、ブラジルの提案で、1964年にガットの下部機構として国際貿易センター(ITC)が設立された。

ITCは日本のJETROの国際版である。

ITCは1968年にガットとUNCTADとの共管になり、今では職員300名以上を擁する国際機関として活躍している。

ガットは1957年に貿易問題の調査を・・一・ミラー教授を議長とする専門家グループに依頼した。

翌年に提出されたいわゆる『ハーバラー報告』は、先進国が農業保護を緩和すること、途上国の経済発展を助けるために先進国が市場を開放することなどを勧告した。

この報告に基づいて1958年に途上国貿易問題を審議する第三委員会が、工業品貿易を扱う第一委員会、農業品貿易を扱う第二委員会とともに設置された。

また1962年にはナイジェリアの提案で熱帯産品貿易特別グループが設置された。

以来、熱帯産品はガットにおいて独立した審議や交渉の対象となっている。

第三委員会の仕事の1つは、先進国が途上国の輸出産品に課している関税、輸入制限および特別内国税を調査することであった。

経済状況の悪い国に簡易手続が適用されることが多い。

ウルグアイ・ラウンドでは、米国・カナダおよびECが第18条B節の濫用を防止し、輸入制限委員会の機能を改善するための宣言を採択することを提案した。

国際収支を理由として認められた輸入制限が、実際には特定産業保護のために恒久的に使われていて、国際収支不均衡の原因を治療するには有効でないことが認識されたからである。

第18条B節の適用条件を厳しくするこの動きに途上国は同調していない。

しかし、途上国のなかには産業の過保護を避け、経済を能率化させるために輸入制限の撤廃を進めている国が多い。

IMFや世界銀行が輸入自由化を借款の条件にしていることも途上国の貿易自由化を促進している。

さらに東京ラウンド交渉の結果1979年に採択された「国際収支均衡のための貿易措置に関する宣言」によって、輸入の数量制限に代わって輸入課徴金のような価格メカニズムによる輸入抑制措置を採用することが認められた。

むしろ輸入制限よりも貿易撹乱効果が小さい課徴金のような措置を選ぶことが勧奨されている。

第18条B節を援用して制限的輸入措置をとる途上国は、2年に1度ガットの国際収支委員会の審査を受けなければならない。

たとえば、韓国はこの審査の結果、1990年1月からガット第11条国に移行し、残存輸入制限を漸次撤廃することになった。

第18条B節の援用に関して問題がないと認められた途上国には、簡易審査手続が適用され、必要文書の提出が求められるだけで、会議は開かれない。

ガットは1950年代初頭から途上国問題に関心を向けはじめた。

当初のガット第18条は途上国の経済開発のみならず、戦災復興についての規定も含んでいたが、これを1955年に全面改正し(発効は57年)、経済開発のみに関する規定とした。

新第18条は、経済開発上必要とされる措置について、これが通商政策に関するガットの他の条項の義務違反とならないように例外扱いを認めることを趣旨としている。

第18条は幼稚産業に関する規定など、A、B、C、Dの4節からなっているが、A、C、D節は現在使われず、ほぼ死文化している。

B節は、低生活水準で開発の初期の段階にある国が、国際収支上の理由で輸入制限を行なうことを認めている。

マカオもポルトガルが後援して別個のガットメンバーになった。

台湾は韓国と比肩する貿易額をもっているが、ガット未加盟のため国際貿易交渉でいろいろの不自由を味わっている。

他方、ガットにおいても台湾の未加盟は、問題解決を不自由にすることがある。

台湾は1990年初頭、中国と相談なくガットに加入を申請した。

中国は、2つの中国をガットを介して認めさせようとする不法行為であるとして、これに激しく抗議した。

しかし、その後妥協が成立し、1992年9月の理事会で台湾がガット加入交渉を始めることが承認された。

台湾は先進地域としてガットに加入する旨を明らかにしている。

このアーカイブについて

このページには、2014年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年5月です。

次のアーカイブは2014年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。