2013年5月アーカイブ

3つは、国際化の進展への対応である。

継続的に輸入農産物は増えていて、結果として最大12兆円あったわが国の農業総生産額は、もはや8兆円台に落ち込んでしまっている。

輸入数量が増えていることと、わが国の農業総生産額が落ちていることが、明確に反比例しているのだ。

そんななかで、JAの購買事業の取り扱い高、販売事業の取り扱い高も、わが国の農業総生産額が落ちている状況とまったく平行したラインを描いている。

まさに、わが国の農業の盛衰は、JAの盛衰とまったく一緒なのである。

2つは、農政改革の動きについてである。

地域で担い手が圧倒的に高齢化し、とりわけ水田農業においては深刻である。

そんななかで地域に根ざすJAにとっても農業が崩れていったのではどうにもならない。

ましてや、ちゃんと残っている農家が農協離れしていますよといわれている。

JAがそういう担い手に対して、しっかり事業対応できていないといわれているのも事実だ。

要するに、担い手をちゃんとつくり上げることが最大の課題である。

さらに、JAグループとしては認定農業者をつくり上げるだけではなくて、地域の農地を農地として利用していくためには、ともかく農地を団地として集めて、それを利用する仕組みをつくり上げることが必要であり、そのためには集落営農が最もいい方法ではないかと提案し、取り組みをすすめている。

それが本当の農業政策、地域政策といえるのではないか。

いま、JAグループは、大変な困難をいくつか抱えている。

1つは、規制緩和への対応である。

コメについていえば、平成2年に価格形成を市場に上場し入札する仕組みをつくって以降、いまが最低の価格水準になっている。

ここ10数年あまりのなかで不作であった平成5年と平成15年は高騰したが、それ以外は一貫して下がり続けている。

全体として農業に関する規制緩和がすすみ、具体的には、食管制度体制が崩壊し、卸売市場の取引も自由化がすすんでいる。

いうなれば、JAの事業はコメを集荷して売っていればよいという状況ではなくなり、青果物などについても、集荷して卸売市場へ持っていけば値段を決めてくれるという状況ではなくなった。

JAの仕事の仕方を思い切って変えていかなければならない。

農業者が担い手として限定され、数も極めて限られてくるなかで、農業団体がバラバラでいままでと同じことを言っているにすぎないのでは、農家にも申し訳ないだけでなく、早晩大きな批判を受けることになる。

県・市町村自治体の農政担当、普及センター、農業委員会、農業共済、水土里ネット、そしてJAの担当がーか所に集まって机を並べ、企画し、説明会を開催し、相談に乗り、事業を具体的に貼り付け、担い手を明確化していくことが必要である。

このなかで、誰が事務作業を負うかなどについても解決していかねばならない。

補填金の収受も含めて、JAが大きな役割を負うことが期待されるが、システムづくりも含めてJAの事務負担が大きくなることも心配される。

国も出先機関が、規程や通達に対して画一的な指導しか行わないとなると問題を生じかねず、地域の実態に応じた柔軟な対応がどうしても必要である。

JAにとっては、もうーつ大きな課題がある。

それは、担い手を中心とした事業方式を大きく打ち出すことである。

これまでも大口取引に対してはメリットを出す取り組みを行っているし、営農経済渉外担当の仕組みを講じて大規模農家や法人に対して営農指導の専門家を巡回させ指導強化に取り組んできているが、大規模農家のJA離れはすすんでいるのが実態である。

JAが中心となった担い手づくりと併せて、それら担い手がJAを利用する事業方式をきちんと示さなければならない。

全利用だけでない一部利用も示していく必要がある。

また、関係機関がワンフロア化して一体となって取り組むことも大切である。

これまでもそうだが、均質な社会を理想としてきている農村地域で、特定の人や組織を確定し、政策を集中して経営の安定をはかっていくのは容易ではない。

様々なやっかみもあれば、将来への不安もある。

だからといって、優勝劣敗の競争原理に任せっぱなしにして解決しうるのかどうか、これまでの長い取り組みからしてそれは経験済みのことである。

こうなると、話し合いで地域農業のビジョンを全員で合意し、そこにすすむことしかない。

途上国も市場開放よりはアメリカの国内支持のほうが問題ではないかと批判しているが、アメリカは他の国が要求に応じてこなければ自分たちも応じられないとして、事態はどうにもならない穴のなかに入ってしまった。

ただ、上の階層ほど関税の引き下げ幅を大きくするという階層方式については合意した。

一部とはいえ高関税の品目を抱えている日本にとっては大変なことである。

その上、さらに上限関税75%で圧縮するというのだから、二重の負荷を求められることになる。

そのことはアメリカも当然承知しているはずなのに、かたくなに市場開放を求めている。

市場アクセスの改善をしなければ国内支持についての妥協はできないといい張るのだ。

裏返していえばアメリカは、もうこれ以上の国内支持の削減はできないという事情を抱えているのではないかという印象である。

平成18年6月、ジュネーブで行われた閣僚級会合に際して、JAグループ派遣の代表団の一員として加わった。

そこでモダリティ(保護削減の基準)確立に向けたWTO農業交渉が行われたのだが、交渉は不調に終わった。

さらに、サンクトペテルブルグでのG8サミット宣言を受けた7月末のジュネーブでの会議においても、中間選挙を控えて妥協できないというアメリカのかたくなな姿勢のために交渉は進展せず、当分の間凍結されることとなった。

その理由として挙げられるのは、アメリカが国内支持のため農業補助金の削減はできず、市場アクセスについても極端な要求をしたままであったからである。

たとえば、アメリカは上限関税75%、重要品目の数はタリフラインのー%、関税引き下げ幅は90%を要求しており、これではあらゆる農産物が関税障壁を乗り越えて日本に入ってきてしまう。

わが国及びJAグループにとって、これは到底のめない内容であった。

わが国も含めてアジアモンスーン地域の農業の特徴は、コメの生産を中心とする水田農業に適しており、また、平地が少なく人口が多いことから、零細規模でもある。

さらに、わが国を除いてほとんど途上国であり、農村の貧しさは国によってはアフリカ諸国以上でもある。

自国の農業生産を守り、農村の貧困を解消するためには、市場アクセスの拡大以外の対策が必要である。

その意味では、農業生産が持つ多面的な機能を維持し、各国の農業が共存するルールを求めるわが国の要求は、これらアジアの国々に共通するものであり、議論がすすめばこれらアジアの国々の理解も得られるはずである。

「途上国の反乱」といわれ、カンクン閣僚会議の動きの中心となった途上国のなかには、アジアの発展途上国であるインド、インドネシア、フィリピン等が含まれていた。

これらの国々の要求は、先進国の国内補助金の削減や輸出補助金の全面撤廃の問題に加えて、途上国の「特別品目」への配慮を求めるものであった。

ウルグアイ・ラウンド合意以降、農産物の輸出を伸ばしているタイ、マレーシア以外の国々は(ただしタイもマレーシアもアジアの経済危機のなかで農産物貿易収支を悪化させた)、アメリカやオーストラリアからの輸入を増やしており、このままでは国内農業が縮小しかねないため、自国にとって重要な特別品目については、これ以上の市場アクセスの拡大を行わなくてもいいというルールを求めたのである。

カンクン閣僚会議の最終局面で、デルベス議長案(閣僚宣言第3次案)が提出され、結局論議がなされないまま決裂したが、議長案には上限関税に関して「非貿易的関心事項の観点から指定される極めて限定的な品目について例外扱いとする」という記述がカッコつきながら加えられていた。

いったい、どのくらいの品目が指定されるのか、10品目程度なのか、5品目なのか、2ないし3品目程度なのか、「<Φq=巨審島巨日げ29胃o含9ω」という文言の解釈が争点になったと思われ、当然、非貿易的関心事項の観点から指定される農産物はどの範囲のことをいうのか等、大きな論議を呼んだと考えられるが、残念ながら具体的な論議がすすまないまま決裂してしまった。

このことについて、農業保護の口実であるとする攻撃がアメリカやケアンズ諸国(農産物輸出国グループ)からなされているが、最も自由貿易を主張し、かつ、最も生産条件に恵まれている新大陸型農業国であるアメリカにおいても、数次にわたる農業法で国内補助金を講じていて、こうした事実は、貿易では解決できない事項について一定の配慮が必要であることを示しているのである。

まして日本をはじめアジア諸国やアフリカ諸国等のように、どうしても国土や気候風土の制約を受けざるを得ない国々の農業生産については、その国の条件を踏まえた政策展開が認められるべきなのである。

もちろんこのことは、WTO交渉において具体的なルールとして認められることが必要であるが、そのためにも大事なことは、国際的にも主張を同じくする国々との連携と、国内における理解と支援である。

わが国の農業の持つ多面的機能を評価し、国内農業生産を維持することの重要性を国民全体が理解し、WTOにおけるわれわれの主張を支援する体制が必要である。

各国農業の共存を主張するもうーつの問題意識は、農業が貿易の対象となる農産物の生産だけでなく、①その持続的な農業生産活動により洪水防止や水資源の酒養等の国土保全、②大気の浄化や緑豊かな景観の提供等の環境維持、③過疎地域への定住や文化の継承等の地域社会の維持という、多面的な機能を持っていることである。

このことは、経済協力開発機構(OECD)や日本の学術会議でも認められている。

ウルグアイ・ラウンドの合意においても、さらにはこれまでのWTO交渉においても、これら食料安全保障や環境保護の必要性などは、貿易の対象にはならず、そのため貿易で取引できない重要なもの、すなわち「非貿易的関心事項」として考慮されるものであると認められ、合意されている。

これ以上の海外依存は国民の食料の安全保障からも、もう限界である。

ところで、新鮮な牛乳が飲めるのは、国内に酪農があるからである。

乳牛の糞尿は堆肥となって畑に還元され、牧草の育成につながっているのだが、同時に、たとえば関東周辺の野菜栽培の堆肥にもなっている。

新鮮な野菜が食べられるのは、乳牛や肉用牛が周辺にいるからである。

こうした自然の循環が維持されてこそ安全で新鮮な農産物が供給できているのである。

したがって、これ以上の輸入依存はこの循環をも崩壊させてしまいかねない。

コメの消費拡大はもちろん大事である。

しかし、国民の消費構造が大きく変化しているなかで、不足している作物に転換して定着させる努力をもっと行わなければならない。
麦や大豆、家畜の飼料などは圧倒的に海外に依存しており、それらの輸入は関税ゼロで輸入抑制できない実態にある。

一層の市場開放が求められるなかで、このまま放置しておくと、自給率はさらに下がるだろう。

そして牛肉にみられるように、アメリカでBSEが発生したとたんに大騒ぎになるという事態が生じている。

食料の海外依存はもう限界に達している。

アメリカをはじめ、さらなる市場開放を日本に求める国々の農業関係者はもとより政府の関係者ですら、日本の事情はよくわかるという。

そして、なぜ国内生産を拡大できないのか、そのための政策を実施しているのか、と問う。

そんななかで、唯一自給できるコメが大事であることも十分わかるが、なぜそのコメが過剰で40%も生産調整しているのか、と質問する。

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