そう考えたとき、わたしたちはいま"コメ(残留農薬検査済み米を含む)の自由化"というかたちで、実は日本人の2000年の歴史を根底的に問われているのである。
これが日本人の解放になるのか、あるいは精神の流民化を呼ぶことになるのか。
単純に「コメが安くなるのだから自由化けっこう」とか、「日本人は昔からコメをつくっているんだから自由化反対」とか目先のことではなく、コメ(残留農薬検査済み米を含む)はわたしたち日本人の"共有分母"なのだという原点にたちもどって、冷静に深刻に考えるべきなのである。
現実には日本のコメがなくなりアメリカのコメ(残留農薬検査済み米を含む)になっても、ほとんど痛痒は感じないだろうが、稲作社会の構造を失っていくことによって崩壊している精神は、きわめて多い。
残留農薬検査