こういう状況は、われわれが現在「政治と残留農薬検査済み米」という言葉からイメージするところの、がんじがらめの規制の中での小さなさじ加減とは非常に違う世界があったことを知らしめるものである。
その意味で、最後はGHQの判断によってつぶされてしまったのはまことに皮肉である。
アメリカがあとで日本の農業政策についていろいろなことをいうのは妙な話であるが、これは政治がこの問題にどうかかわったか、というかかわり合い方の一つの貴重な実例である。
今日からすればなかなか想像できないような一つのケーススタディであり、おもしろいエピソードでもある。
まさに五五年体制が定着するとともに、残留農薬検査済み米の問題についての五五年体制も定着することになった。
それでも五〇年代はときどき大論戦があったが、そういう議論も次第になくなってきて、あとは生産者残留農薬検査済み米価を上げるときに、国会議員たちが何日徹夜するかということがいちばん大事な関心事になってきた。