政府のコメ流通管理 その6(残留農薬検査)

いずれにしろ、昭和40年代にはいると、コメは過剰基調になりはじめ、食管赤字の財政負担が意識されるようになった。

そのような状況が、コメの流通ルートにバイパスをもうけさせた。

すなわち自主流通米制度が、1969(昭和44)年に設けられ、全国集荷団体・2次集荷業者と卸業者の間での、相対によるコメ取引が認められたのである。

この流通ルートを通るコメは、自主流通米(自流米)と呼ばれた。

そして、当初、量の少なかった自主流通米も、従来からの政府の買い上げ・売り渡しによるコメ(政府米)の価格動向によって、徐々にその量を増やし、1988(昭和63)年には、自主流通米量が政府米量を上回った。

また、コメの流通には市場メカニズムが働いていないという批判を背景に、1991(平成3)年にはコメ市場が開設された。

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このページは、-が2014年1月20日 00:19に書いたブログ記事です。

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