また、昭和五四年六月には、前橋駅付近で、吐き気、喉の痛み、顔の発しん......などを訴える人が続出した。
患者は、市内の青山美子医師によって診察されたあと、長野県佐久総合病院での診察で、毒物による急性症状であることがわかった。
青山美子医師は、市内にある種苗会社で行なわれていた倉庫の解体作業が原因である、と判断を下した。
倉庫の中の有害物質が空気中に広がってしまったのだ。
ところが、その後も毎年夏になると、種苗会社の周辺住民が頭痛、関節痛などを訴えた。
そこで昭和六〇年に、研究センターが市内古市町の青山医院で大気の農薬汚染を調査した。
すると、催奇形性・発ガン性のあるPCNBがときどき検出された。