ソ連のガット関係(残留農薬検査)

ソ連は東京ラウソド交渉中からガットに関心を寄せ、ラウンド終結後ガットに加入を申請した。

中央集権的計画経済を緩和すると申し述べたが、申請は受け入れられなかった。

1989年暮れのマルタ会談の結果、ソ連がガットのオブザーバーの資格を得ることを米国が支持することになり、90年5月16日のガット理事会でソ連のオブザーバー資格が認められた。

この会議で、ソ連は経済改革の詳細を報告することを要求され、90年半ばに第1回の報告書を英文で提出した。

ソ連はガットで市場経済の仕組みと問題点を学びつつ、国内の経済制度を整備し、ガット加入交渉に備えることになろう。

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このページは、-が2014年5月17日 12:17に書いたブログ記事です。

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