先進国に傾いた西側の機構であるという批判(残留農薬検査)

ところで、ガットは先進国に傾いた西側の機構であるという批判が高まり、1962年には国連が貿易開発会議(UNCTAD)の開催を準備することを決定した。

翌63年にガットは閣僚会議を開催してケネディ・ラウンド交渉を1964年から開始することを決定するとともに、「行動計画」および熱帯産品のための市場開放について決議を採択した。

先進国が自国の関税引下げなどの交渉で途上国からレシプロシティー(互恵主義すなわち等価の譲許交換)を期待すべきでない旨のルールがこの議決ではじめて採択された。

さらに先進国の一般特恵関税および途上国間特恵についての提案を審議する作業部会の設置が決められた。

また、途上国貿易拡大のための法的枠組みを検討する委員会の設置も同時に合意された。

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