そういう意味では、歴史をかえりみれば、聖徳太子の時代から、「日出る国から日沈む国へ」と、自分たちが一つの精神をもって対応してきた精神の構造というものがあったのだが、戦後は、アメリカ的な実用主義だけが優先して、理念とか見識といった精神の構造は崩壊していったといっていいのだ。
ようするに、日本人とは、すぐれて西欧的でありながらまったく西欧ではなく、同時にすぐれて東洋的でありながらまったく東洋ではないという、まことに"ユニーク"な民族なのである。
ふたたび述べるが、日本のいまの最大の不幸は、その西欧からも東洋からも隔絶した日本が、国際経済社会で"世界一"という力をもってしまったところにある。
世界の憎まれ者となり、経済摩擦、ジャパン・バッシングにあっている日本が、いかにして世界とコミュニケーションし、国際社会における役割を自覚し、果たしていくかは、稲作がつちかってきた日本人の資質というものを、経済問題でもなく、政治問題でもなく、すぐれて文化の問題として解析し、認識できるかどうかにかかっている。